東へ向かう心



露天を広げて獲れたての魚を売りさばく漁師がいる。
見たことのない果物だか野菜だかを台の上に無造作に積み上げて、甲高い声を張り上げる食品商がいる。
色とりどりの布をカーテンのようにぶら下げた屋台の前で、長身の商人と肥え太った商人が大声で価格交渉をしている。
土色の建物の隙間に伸びる細い路地を、子供たちが嬌声を上げて駆け抜けていく。


アラビア半島南西部の商業都市、アデン。
ゆったりとしたムスリマの衣装に身を包み、低いベンチに腰掛けてアラビアンカフェを味わいながら、そんな活気あふれるバザール(市場)の様子を僕はのんびりと眺めていた。


胡椒の交易路の開拓は無事、成功した。
紆余曲折はあったものの、最終的には現地の野心的な商人と結託して御用商人を追い落とすことに成功し、僕達ポルトガル人は新しい御用商人の「共犯者」として、当初の狙いよりも大きくカリカットの香料市場に食い込むことになった。
今後かの地を訪れる商人達は、胡椒の仕入れに関してかなりの便宜を図ってもらえることだろう。

そして僕の懐には今、紅海西岸で本国の使者から受け取った新たな命令書が入っている。これをカリカットにいるガマ提督に届ければ、晴れて彼の元での任務はすべて完了だ。
他ならぬ彼が相手だからこそ、「徴用」されて任務を遂行するのにさしたる抵抗はなかったけれど、やはり僕はしがらみのない冒険家でいるのが一番性に合っている。
事前に書物で得た知識と、任務中に立ち寄った港で耳にした魅惑的な噂の数々。正直、好奇心を押さえつけるのにそろそろ限界を感じてもいた。

古代メソポタミアの遺跡、数々の遺品。
アレクサンドロス大王に攻め落とされたペルシャの都。
メソポタミアと同時期に栄えたという、インダス川のもうひとつの古代文明。
イェルサレムと全く縁の無い二つの宗教、ヒンドゥー教と仏教の寺院。
立ち寄った町で、船の上から、何度と無く目にした見たことも無い生き物たち。


しかし、今何よりも僕を駆り立てるのは、先程受けとった一通の手紙だった。
アラブの行商人に託されて、陸路から届いた手紙。僕と同じ名の彼女が、気を利かせて教えてくれた、もう一人の英雄のこと。


"…そうそう。
 イスパニアの方から伺ったのですけれど、クリストバル・コロン提督が近々4度目のインディアス遠征に出発するそうです。
(ユリオさんがよく「目標だ」と仰っていた方ですよね?)
 あなたにとっては重要な情報だと思いますので、お伝えいたします。

 いつか戻ったら、またお話を聞かせてください。
 インドのおみやげ話、楽しみにしています。
                              あなたの友人 ユリア"


手紙の日付は1ヶ月前。セビリアからインディアスまでは40日程度の航海。
つまり、早ければ僕がカリカットに戻る頃には、彼はインディアスに…すぐ近くにいるのだ。

条約があるから、ポルトガル船が堂々とインディアスを訪れることはできない。
だけどインディアスにおける最高責任者であるコロン提督には、条約の例外を認める権限がある。つまり、彼が認めれば、僕は堂々と大西洋を横断してリスボンに帰ることができる。
そして僕は、コロン提督が過去3回の遠征で持ち帰れなかった、喉から手が出るほど欲しいであろう「決定的な証拠」そのものなのだ。僕に大西洋を越えて帰還させることで、彼は懐疑派を永遠に沈黙させることができる。

勝算は、充分にある。


世界一周。
今まで考えたこともなかったそんな言葉が、今、僕の胸の中ではっきりと脈動していた。
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# by jurio_f | 2005-11-06 16:14 | 航海記(キャラ視点)

外伝01 『ハサン=イブドゥル』


旦那と出会う前、俺は海賊だった。


生まれはイフリーキヤの貧しい部族だったらしい。もっとも物心つく前に人買いに売られたから、それ以上は知らない。
ただ、俺を買い取ったヤツの目は正しかったと言えるだろう。バルバリア海賊に買い取られた俺は同い年のガキより二周りも大きく成長し、海賊の働きアリとして12の頃からガレー船の櫂を漕ぐようになった。
ひたすら漕ぎ、殺し、奪う日々。罪悪感なんてものは、誰も教えちゃくれなかった。

ある時、俺達の頭は獲物を間違えた。
襲い掛かった船がイスパニア海軍の偽装商船だと気付いた時には全てが手遅れで、集中砲火を受けた船はあっさりと沈没。海に投げ出された俺達はかつて船だった木片にしがみ付き、幸か不幸か、俺はそのまま海軍に拾われること無く潮に流されていった。


木材にしがみついて海を三日も漂えば、普段は信心など欠片も持たない人間でも神を意識するようになるだろう。神を呪うか、神にすがるかのどちらかの形で。
情けないことに、俺は後者だった。
イスラムに帰依しているわけでもなかった俺は、漠然とした神のイメージに向けてその場限りの懺悔をし、もう誰も殺さない、何も奪わないから助けてくれと、朦朧とする意識の中でひたすらに祈りつづけた。

当然と言うべきか、俺の祈りはアッラーには届かなかった。代わりに、何の因果かキリストの耳に届いたらしい。
俺の前に現れたのは、ポルトガル国籍のキャラベル船。
そびえ立つ舷側からロープを持って飛び込んでくる人影を、俺はただぼんやりと眺めていた。
誰とも知れぬ漂流者を助けるためにわざわざ海に飛び込んだのが、なんと船長である旦那本人だったというのは、後で別の船員に聞いた話だ。


命を救われた恩返しと言って、俺はそのまま旦那の船で働くことにした。
誰も、俺の過去を詮索しようとしなかった。




旦那との航海は、何もかもが新鮮だった。
噂にしか聞いたことの無い街から、名前も聞いたことの無い街まで。流氷に閉ざされた海から、灼熱の砂漠まで。
驚きと感動の連続と、それを分かち合える仲間達の存在。灰色だけだった俺の人生は、一気に色鮮やかに輝くものへと姿を変えた。
旦那と共にもっといろいろなところへ行きたい。古いもの、新しいもの、いろいろなものをこの目で見たい。それが、俺が初めて抱いた「夢」になった。
そうして共に旅を続けるうちに、いつしか俺は旦那の右腕と呼ばれるまでになっていた。

旦那に姪が生まれたのは、ちょうどその頃だった。旦那と同じ色の髪をして、利発そうな目をしたその子は、まだ言葉もわからぬうちから船を見るとご機嫌になり、実の両親よりも旦那に一番懐く変わった子だった。
彼女は海の話が大好きで、帰る度に旦那に話をせがみ、出航する時には自分も連れて行けと駄々をこねては旦那を困らせていた。
航海から戻るたびに大きくなっている彼女と会うのは、旦那の一番の楽しみになり、短距離の航海がぐんと増えた。たまに停泊中の船に彼女を連れてくることもあり、潮の匂いに旦那との共通点を感じるのか俺達船員にも物怖じすることなく懐いてくる彼女は、たちまち船員達のアイドルになった。

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# by jurio_f | 2005-09-27 01:32 | 外伝(サブキャラ視点)

快速艇の脅威

「右舷18門、装薬完了しました! いつでも撃てます!」
「A班全員ミズンマストに配置したわ!準備OKよ!」
迫り来る三本マストの海賊船を睨みながら、船員達の報告を聞く。

大きな三つの三角帆。遠目にはスクーナー張りのキャラック船に見えたそれは、しかし同型ではありえない速度で確実に距離を詰め、いまや甲板の人影さえ識別できるほどの距離まで迫ってきていた。
見張りの第一報があったときから、たったの6時間。真後ろから追ってきたわけではないから単純には計算できないけど、下手をするとこちらの1.3倍近い速度が出ている計算になる。


恐らくはあれが、『サムブーク』。
アラビアを越えて、はるか地中海までその噂が届いていた、インド洋の高速艇。


船足では完全に負けている。多少のトリックを使ったところで到底振り切ることはできない。
ならばどうするか。

"必要になるから、使えるようにしておいたほうがいい"
4ヶ月近く放置されていた両舷36門のデミ・キャノン砲に錆が浮いているのを見て、そうアドバイスをくれたのはガマ提督だった。

船に大口径の大砲を積み、砲撃だけで敵船を沈めるという戦い方は、ヨーロッパで編み出されたものだ。地中海で欧州諸国と鍔迫り合いをしているオスマントルコならともかく、その支配も届いていない東アフリカを根城にする海賊ならば、まともな砲撃戦を体験したことは無い筈。そこを突く。



彼我の距離は8挺身くらい。もうデミ・キャノン砲の最大射程には入っているけれど、この船に乗っているのは軍人じゃない。素人に毛が生えた程度のにわか射手達では、まだこの距離での有効打は望めない。
じわじわと近づいてくる海賊船を睨みながら、僕は転舵した際の両船の航跡を脳裏に描く。
そろそろだ。ひとつ頷いて、大きく息を吸い込む。

「面舵一杯! 右転進100度!
 右舷全砲門開け!」

前半は舵を握る操舵手に、後半は砲甲板で待機している船員達に叫んで、僕は船尾楼の上から飛び降りた。
舵輪を回す重たい音が響き、船はぐぐっと舳先を風下に転じる。
風を切り上がるために大きく傾いていた船体が、徐々に起き上がっていく。

やがて、舳先をこちらに向けた海賊船の姿が右舷ほぼ正面に納まる。
予想通り、真横に捉えられていながら砲撃を警戒する様子は全く無い。甲板に集まった切り込み要員達が、何も知らずにカトラスを振り上げてこちらを威嚇している。

「……撃てえぇっ!!!」

ドドン!ドドドドン!ドドン!

剣先を振り下ろすと同時に、響き渡る轟音。軍艦のセレモニーのように綺麗には揃わないけれど、射出された18個の砲弾は次々に敵船とその周囲へと着弾し、あるいは水柱を、あるいは多数の木片を、空中へと跳ね上げる。
フォアマストの策具が千切れ飛ぶのが目に入り、僕は小さくガッツポーズをした。決して修復困難な損傷ではないが、一時的にせよこれで相手の速力は大きく落ちる。

「見とれるなっ! 戦果の確認は上のやつに任せとけばいい! 次弾装填急げぇっ!」
下からの叫び声を聞きながら、注意深く敵船の動きを探る。
もしかしたら、速度を上げるために船の強度を犠牲にしていたのかもしれない。船首縦射が入ったこともあり、砲撃は予想以上の損害を相手に与えていた。
さすがに驚いたのだろう。海賊船は進路を左に逸らし、僕らの船尾に回りこもうとしている。

「面舵15度! あえて大きく回れ!」

追撃をかけるには側面に捉え続けるべきだ。
だけど僕は、あえて操舵手にそう叫んだ。
相手には大砲が無いから、船尾縦射を警戒する必要は無い。もし相手が戦意を失っていたら、イチかバチかの突撃をさせるよりは逃げ道を用意してやった方がいい。

大きな円弧を描きながらの睨み合いは、長くは続かなかった。
じわじわと開いていた距離が7艇身を超えたあたりで、海賊船は円弧の外側へと舳先を向け、一目散に逃げ出したのだ。


僕らはそのまま、下手回しのような形で進路を北西に向けた。

こちらが完全に背を向けても、海賊船はもはや進路を変えることはなかった。自慢の船足で逃げに入った『快速艇』の姿は、見る見るうちに小さくなり、水平線の向こうへと消えていった。
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# by jurio_f | 2005-09-11 01:00 | 航海記(キャラ視点)

喜望峰の葛藤

喜望峰の袂、ケープタウン。南の最果ての町。
南から打ち寄せる大波は喜望峰に遮られ、水面は月を映し出してゆらゆらと揺れている。
長い南下の旅を終え、桟橋に係留されたフランベルジュ号も、月明かりを浴びてつかの間の休息にまどろんでいるかのようだ。

一足先にリスボンを発ったガマ提督の第二次インド遠征艦隊は、つい1週間ほど前にこのケープを出航していったらしい。今頃はアフリカ南端を回り切って北上を始めている頃だろう。
船長の身分を捨ててまで遠征艦隊に潜り込んだ友人は、無事に水夫としての仕事をこなせているだろうか。

ガマ提督の帰還を受けて、国王陛下はすかさず喜望峰以東の航海を許可制にする旨を発令した。いまだ微妙な状態にあるインドおよび航路上の諸国との関係を不用意に刺激しないための政策だそうだけど、これにより、インドへ向かう方法は許可のある者の船に雇われるか、どうにかして国王に許可を求めるかのどちらかしか無くなった。
許可のある者の最筆頭、ガマ提督の第二次遠征艦隊の募集には、ポルトガル中の船乗りが殺到したとまで言われている。

王命を受けて新領事を無事このケープまで送り届けた僕に、新領事が報酬として差し出したのは、まさにその航行許可証だった。僕がリスボンを発つ時には既に発行されて新領事に託されていたそうだから、陛下は予想以上に僕のことを買ってくれていたらしい。
嬉しくない訳が無い。でも…


真上に視線を移すと、今にも落ちてきそうな満天の星空。
北極星の無い夜空には、代わりに地元の人に教えてもらった南十字星が静かに瞬いている。
耳を澄ませば、酒場でどんちゃん騒ぎを繰り広げる船員達の嬌声が、遠くから聞こえてくる。


まさかこんな形で航行許可がもらえるとは思っていなかったから、彼らにはここが終着点だと伝えてある。当然、予定していた喜望峰の測量や周辺の調査などを行ったあとはリスボンへ帰還すると思っているだろう。
本音はもちろん、このままガマ提督を追って東へ向かいたい。だけど「ケープまで。半年程度の航海」として雇い入れた船員に対して、それは重大な契約違反になる。それ以前に、この僻地に彼らを放り出すのはあまりに不誠実だろう。まだ若い僕を信じて付いてきてくれた彼らを、個人的な欲望で裏切るわけにはいかない。

深く、長く、ため息をつく。

やはり、何も言わずに引き返すべきだろう。船という小さな閉鎖社会において、和の乱れは致命傷になりうる。許可が下りたことを知ればインドへ向かいたくなる者もいるだろうし、そうなれば帰還を望む者との間に大きな溝ができる可能性があるから。


「もう一度、来ればいいんだよね…」
瞬き続ける南の星空に向けてそう呟く。

その時だった。
「せーんちょぉ、なーに見てるのぉ?」
不意に肩口から聞こえてきたのは、明らかに酔っ払った女性の声。一瞬固まった僕の手から、しらふの時より明らかに器用な手つきですばやく証書が掠め取られる。
「あ、こら! 返せ!アンリ!」
身長差のある彼女に高く掲げられると、容易には取り返せない。そのまま片腕をうまく使って僕を抑えながら、こともあろうに彼女は大声で証書の文面を読み上げた。

「えーとなになに?
 下記の者、ポルトガル国王の名において喜望峰以東の航行を許可する。
 準六等勲爵士 ユリオ・ファル…カッ……」

手にしているものが何なのか気付いた彼女の声が、尻すぼみに消える。滑り落ちた証書をようやく取り返したけど、時既に遅し。

『えぇぇぇぇぇぇ!?』
きっかり8拍後。いつのまに集まっていたのか、船員達の大合唱が響き渡った。


そのまま酒場に連行された僕は、仕方なく、今までのいきさつを全て話した。
陛下のいらない演出のせいで、僕自身ケープに付くまで航行許可が下りていることを知らなかったこと。雇用契約に基づいて今回はリスボンに帰還し、後日改めてインド行きの航海に出る予定でいること。
帰還を望む者が引け目を感じないように、リスボンへの帰還は既に下された船長決定として。
インド行きを望む者が腐らないように、希望者は次の航海で優先的に雇うから個別に僕のところへ来るようにと言い含めて。

表立って反論する者は誰もいなかったけれど、帰還を望む者とインド行きを望む者の間に小さなひびが入ったのは間違いないはずだ。そのひびが大きな亀裂に成長しないように、船長たる僕は全力を尽くさなければならない――





―― 一週間後。

ケープを出航した船は、大きく「左へ」舵を切っていた。
喜望峰を越える方向へ。


あんな心配をした自分が、馬鹿らしくなってくる。
優先雇用者を記録するために用意した船員名簿には、全員の名前にチェックが付いていた。
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# by jurio_f | 2005-08-09 20:53 | 航海記(キャラ視点)

南へ

赤道を超え、南半球に入ってもうすぐ2週間。
左手の水平線にアフリカの西岸を眺めつつ、船は南を目指している。
昨日の天測結果が正しければ、明後日の夕方にはカリビブの街が見えてくるはずだ。

甲板を振り返れば、帆や船尾楼が作るわずかな日陰に座り込む水夫達の姿。その顔にはどれも例外なく、隠しきれない疲労が浮かんでいる。
多分、鏡を覗けばそこにも似たような表情を見ることができるのだろう。


正直、予想だにしなかった。
太陽が北にある、ただそれだけのことが、ここまで精神力を削るなんて。


疲労の原因は分かっている。時間感覚の狂いだ。

北半球では、太陽は南の空を「左から右へ」動く。
ところが南半球では太陽は北の空に昇り、その動きは「右から左」になる。
長年染み付いた感覚から逆向きに動く太陽は、頭では理解していてもどうしても違和感が拭えず、僕らの時間感覚を狂わせるのだ。
例えば、太陽が真北から15度左にあれば、本来の時間は午後1時。だけど、太陽が左から右へ動くという固定観念が、正午より前、午前11時と誤解させてしまう。
しかも、北極星の見えない南半球では、緯度を知る唯一の手段は太陽の「北中」高度を測ることだ。正午付近の時刻を読み違うということは、すなわち正確な緯度を測れないということになる。

これでもしケープへの最短航路を選んでいたらと思うとぞっとする。
今は、左手に見えるアフリカ大陸の海岸線が、僕らが迷子でないことを保証してくれている。
けれど最短航路を突っ切る場合、360度陸地の見えない南大西洋で十数日間も過ごさなければならないのだ。時間感覚の狂いに現在位置が分からない恐怖が加わったら、この程度の疲労では済まなかっただろう。もしかしたらパニックになっていたかもしれない。
ディアス提督は、実際にそのような状態になったと聞いている。そんな中で、「迷ったら東」というアフリカ航海の定石を破り、進路を北にとるという英断を下して喜望峰を発見した。
果たして同じ状況に置かれた時、僕にはその決断を下せるだろうか?



「街が見えたぞーー!」

トップマストから予想外の声が響き、僕の思索はあっけなく寸断された。
さっきまでトドとマグロしかいなかった船内が、にわかに活気づく。

僕は慌てて海図を広げ、書き込まれた数値を確認した。
やはり海図を見る限り、もし昨日の測量結果が正しければ、まだカリビブの港が見えてくるはずがない。そしてこの海図は王宮から下賜された最新の機密文書で、情報の信憑性はきわめて高い。
となれば見張りの誤認か、それとも測量のミスか。

「間違い無いか! 違ったらケープまで泳がせるよ!」
「間違いありやせん! 桟橋と灯台も見えやす!」
確信に満ちた返事の声に、僕は前者の可能性を打ち消した。昨日の測量結果に大きく×印をつけて、くるくると海図を丸めなおす。
やりとりを聞いているだけでもだいたい状況がわかったのだろう。視線で問い掛けてくる他の船員達にひとつ頷き、僕は大きく息を吸い込んだ。

「よぉぉし、みんな気を引き締めろ!
 取り舵30度!目標カリビブ! 着いたら宴会するよ!!」

張り上げた大声に、船員達の歓声が重なった。
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# by jurio_f | 2005-07-16 12:11 | 航海記(キャラ視点)

悪魔の岬を越えて


――かつて、ここには「世界の果て」があった――



「偉大な航海者」と言えば、誰を思い浮かべるだろう?
西回り航路でインディアスを発見し、地球が球体であることを初めてその身で証明してみせた、クリストバル・コロン提督。
アフリカの南端、喜望峰を発見し、インド・アジアへ南から辿り着ける可能性を示してみせた、バルトロメウ・ディアス提督。
そしてその南端を回り、大西洋から船でインドへ辿り着けることを実際に証明してみせた、
"最も新しい英雄"ヴァスコ・ダ・ガマ提督。
仮にも航海者を名乗る者ならば、この3人の名前は間違いなく出てくるだろう。

だが、彼らに続いて「ジル・エアニス」の名を挙げる者は、果たしてどれだけいるだろうか。


「悪魔の岬」は、大西洋の南の果て。
その先の海は赤く煮えたぎり、魔物達が我が物顔で泳ぎ回る暗黒の海。
海はやがて滝となり、奈落の底へ落ちていく。


今の航海者ならば一笑に付すであろうこの噂は、70年前までは当たり前のこととして
船乗り達に信じられていたらしい。

彼らを、愚かの一言で片付けることはできない。
当時、ギリシャやローマの科学知識を取り戻していたのは、エンリケ航海王子をはじめとするごく一部の人達だけだった。長く続いた盲信の時代には、アリストテレスもプトレマイオスも全て否定され、民衆は大地は円盤であると信じ込まされていたのだから。
エンリケ航海王子の命を受け、身をもってこの迷信を打ち破ったエアニス提督当人でさえ、
一度は迷信の恐怖に負けて引き返している。

「己が心の内にある臆病の岬を越えよ」

今もザグレスの航海学校で語り継がれるこの言葉は、一度は使命を果たせずに帰還した
エアニス提督を、エンリケ航海王子が鼓舞した際のもの。
この言葉を胸に、エアニス提督は、二度目の挑戦で見事に「悪魔の岬」を超えてみせた。

この時こそが真に「大航海時代」の始まりだったのだと、航海学校では教えている。
「臆病の岬」を乗り越える心の強さこそが、新たな時代を切り開いたのだと。


ボジャドール岬。
ラスパルマスのあるカナリア諸島から、南へわずか40レグア。アフリカの沿岸から申し訳程度に張り出しただけのこの小さな出っ張りこそが、かつての「悪魔の岬」だ。
沿洋航海が主流になった今では、あえて探さなければ気付きもせずに通り過ぎてしまうような、航路から外れたちっぽけなランドマーク。
「臆病の岬」は、超えてしまえばこんなものでしかないのだ。

三角形の帆布一杯に追い風を捉まえて、ぐんと加速を増した新造のキャラック船は、
かつての世界の果てを軽々と飛び越えた。
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# by jurio_f | 2005-06-25 19:34 | 航海記(キャラ視点)

新たな海図を求めて

地球は、丸い。
そんなことは、既に古代ギリシャの時代に、かのアリストテレスによって証明されている。
丸いものを平面に書きあらわすのだから、どこかに歪みが出る。それはある意味「地図」というものが抱える宿命のようなもの。
地理学者たちは、この歪みをいかに無くすか、そのことにずっと頭を悩ませてきた。


今、地中海でもっとも多く使われているのは、円錐投影型と呼ばれる扇形の地図だ。
これはローマ時代、アレクサンドリアの天文学者プトレマイオスが考案したもので、
簡単に言えば羊皮紙を円錐状に丸めて地球に被せ、透けて見える地形を書き写したもの。
円錐が地球と触れる線、およびその近辺において歪みが小さくなるというのが特徴で、
地中海を東西に貫く緯線を接線にすることで、地中海全域において歪みの小さい
きわめて優秀な海図となる

今までなら、これだけでことが足りていた。
だけど今は、物凄い勢いで地図が拡張されていく時代。
この地図にこのままアフリカ大陸を喜望峰まで書き込んだとしても、もはや歪みが大きすぎて地図としての役割を成さないことは想像に難くない。
より広い世界を描き表せる海図の作成は、これからの航海者にとって悲願とも言えるのだ。




「それで、これは結局どういう地図なんでしょう?」
お手製のマフィンをティーカップと共にテーブルに並べながら首を傾げるのは、僕より更に何歳か年下に見える童顔の女性。
のほほんとした立ち振る舞いで見る者を時に不安にさせるが、これでもやり手の商人であり、今回の仕事を僕に持ち込んだ商会仲間だったりする。
ここアムステルダムに居を構える地理学者が開発したという、広域を描くための新しい地図技法について調査し、可能なら現物を入手するというのがその仕事。

そして今、僕らの目の前には、紆余曲折の末に譲り受けた2種類の地図が広げられている。
ひとつは長方形、ひとつはサメの歯を上下に引き伸ばしたような奇妙なギザギザ型。
どちらも、あまり見慣れない形状の地図。


長方形の方は、なんのことはない、いわゆる円筒投影型というものだ。
地図を投影する羊皮紙を円錐に丸める代わりに筒状にして、赤道を接線にして書き写す以外は円錐投影型と何も変わらない。
アフリカ方面のゆがみが小さくなる反面、肝心の地中海や北海については歪みが大きくなってしまうため、あまり海図に用いられることはない。使われないから珍しいだけで、それほど新しい概念とはいえない。


対して、ギザギザの方は初めて見る地図だ。これが依頼のあった「新しい地図」なのだろう。
目の前の彼女が首を傾げて見せたのも、この地図に対してだ。
形状としては、12枚の舟形の地図を横に並べた形をしていて、それぞれが赤道で繋がっている。極に向かうほどそれぞれの舟形は先細り、その分隙間が広がっている。

あることに気付き、僕は新たな羊皮紙を取り出した。そして、大雑把にギザギザの輪郭のみを書き写し、赤道を切り離さないように注意しつつそのまま切り抜いてみる。

予想通り、隙間を繋げて出来上がった立体は、いびつな球体だった。


「つまりこの隙間は"存在しない"んだ」
切り抜いた羊皮紙をもう一度広げて見せながら、たどり着いた結論を彼女に説明する。
すなわち、この船形は地球にざっくりと切れ目を入れて広げたもので、それぞれの舟形の中では歪みは小さくて済むこと。舟形を同じ向きに並べることで、上が北、下が南という方角を保ったまま世界中を表せること。
平面上では「隙間」の存在に混乱していた彼女も、こうして展開の仕方を立体的に示せば
なんとなくは理解できたようだった。


この地図は、残念ながらこのまま海図として用いるのは難しいと思う。
それでも「世界全体を小さな歪みで表せる」というのは画期的なものに違いは無い。


この地図では、喜望峰の先は大きな湾として描かれていて、インドへは繋がっていない。でも
ガマ提督が帰ってくれば、すぐにこことインド洋を繋いだ正しい地図が作られるだろう。
そしてその東、未知なるアジア。この地図では明らかに曖昧に誤魔化されているエリアにも、遠からず探求の手は伸びる。
すべてが明らかになった時、この地図はどんな形になっているのだろうか。



船員にこの地図の正確な模写を命じ、僕は置いてあったティーカップに手を伸ばす。
すっかり冷め切ったハーブティーは、それでも高ぶった胸に心地よく染み渡った。
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# by jurio_f | 2005-06-06 23:10 | 航海記(キャラ視点)

アラビアの向こう側

アレクサンドリア、カイロ、ヤッファ、ベイルート。
これらアラブの都市の向こうには、荒涼とした砂漠地帯が広がっている。
砂漠の向こうには「別の海」が広がっており、その先に胡椒の原産地、インドがある。
これが、一昔前の「常識」だった。

10年前、ディアス提督が喜望峰を発見したことで、この説は「常識」の座を追われ
一つの「学説」へ成り下がった。
対照的に、それまで鼻で笑われていた「南周り航路」、古代のフェニキア人達が
アフリカの南を回ってインド洋と地中海を行き来していたという言い伝えが、
にわかに「学説」の一つへと昇進を遂げた。

そして今日、ついに両者の立場は逆転した。



「バスコ・ダ・ガマなる西洋人が、アフリカの南を回って船でインドにやってきた」
それが、友人がアラブの商人から仕入れてきた噂話。


心が震えた。


忘れもしない。僕が初めて自分の船を、小さなバルシャを海に浮かべたその日が、まさに
ガマ提督の出航式だった。
舞い散る紙吹雪、人々の歓声、盛大に鳴り響く軍楽隊のラッパの音。
誰よりも間近から見上げたキャラック船は、どんな城よりも大きく見えたのを覚えている。

国運を賭けた大航海に臨む彼。ただ憧れだけに導かれ、ちっぽけな小船を海に出す僕。
親近感を感じるなど、身の程知らずにも程があると思う。
それでも、「共に旅立った」ガマ提督には、僕は特別な思い入れと憧れを持っていた。



そのガマ提督が、ついに成し遂げた。南回りのインド航路は実在したのだ!


国中の人に見送られ、リスボンを出航していったあの日から実に10ヶ月。西アフリカを超え、喜望峰を回り、未知のインド洋を渡る旅。
どのような冒険があったのだろう。彼は何を見、何を聞き、何を感じたのだろう。

出航式の時は、ただ尊敬と憧れの念のみがあった。
今の僕は、彼を「羨ましい」と思えるまでは成長してきている。



いずれ近いうちに、僕は彼の後を追う。
アドリア海に季節を問わず吹きつづける北西の風に、改めてそう心に誓う。

あるいはこの風は、エジプトを、アラビアを越え、インド洋まで届くのだろうか。
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# by jurio_f | 2005-05-18 21:38 | 航海記(キャラ視点)

ユリオとユリア(RP)

アレクサンドリアの港を発ち、カンディアに向けて舳先を北西に向ける。
夕暮れの中徐々に遠ざかる、大河ナイルの河口。そのほとりに今も賑わいを見せる、
史上最も版図を広げた偉大な王の名を継ぐ都。

そして、その古都で旅人を相手に屈託ない笑みを浮かべる、僕と同じ名を持つ少女。



最初に「ユリア」を呼ぶ声を聞いたときは、本当に驚いた。

あの日以来僕は、ずっと「ユリオ」と名乗っている。
航海者仲間も何人かでき、地中海の東の果てで彼らと出会ってもおかしくは無いけれど、
故郷ポルトガルを遠く離れたこの地で僕の本名を呼ぶ人は、行方不明の叔父以外には
考えられなかったから。
実際には、振り向いた視線の先にいたのは、昼食の準備に精を出す休憩所のご主人と
奇妙な反応を見せた僕を不思議そうに眺める少女。
この休憩所の看板娘。彼女の名前が「ユリア」だと知ったのは、それから少し後だった。

彼女は、名前の偶然を大層面白がってくれ、僕らはすぐに打ち解けた。
僕の隣に腰を下ろして航海の話を聞きたがる彼女に、最初、僕は叔父から聞いたいくつもの冒険談を織り交ぜて語り聞かせた。
けれど彼女はその違いをすぐに見抜き、何よりも僕自身の体験談を聞きたいと言ってくれた。
好事家への報告という形ではなく、幼い僕に叔父がしてくれたように自分の冒険を語るというのは非常にこそばゆかったけど、彼女が目を輝かせて聞き入ってくれるのは純粋に嬉しくて。
「それじゃユリオさん、王様に嘘ついちゃってるんだ。大物だねっ」
僕が「ユリオ」を名乗るいきさつについて話したときの彼女の感想は僕にも新鮮で、二人して声を上げて笑ってしまった。


たまたま店が忙しくなる時間と出立の時間が重なってしまい、きちんと再会の約束をできずに別れてしまったのが心残りだけれど。
アレクサンドリアはエジプトの玄関口。これから何度でも訪れる機会はあるだろう。
その時、彼女は僕を覚えていてくれるだろうか?


「どうしましたキャプテン?柄にも無く感傷に浸って」
「港に誰ぞいい男でもいましたかい?」
夕暮れの潮風に髪を遊ばせながら、遠ざかる街の明かりを眺めていると、珍しい姿を見たとばかりに休憩中の船員達が声をかけてくる。
「残念賞。女の子だよ」
からかい気味のその声を、とりあえず冗談めかせて軽く受け流して。
「やっぱそっちの趣味ですかい。まぁ、男と並んだとこを想像するよりは余程しっくりきまさぁ」
……失礼な発言をした船員の頭に、僕は遠慮なく長剣を鞘ごと振り下ろした。
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# by jurio_f | 2005-04-06 18:52 | 航海記(キャラ視点)

セイレーンの歌声(RP)

セイレーン。
不気味な歌声で船員たちを魅了し、海の中へと引きずり込む魔物。
叔父の話してくれた、数多くの海にまつわる伝承のうちのひとつ。


ジェノヴァで依頼を果たしての帰り道。メノルタ島を左手に確認し、もうすぐパルマだと
一息ついたときにそれは起こった。
最初は、風の音だと思った。風向きが変わり、帆が風を切る音が変わっただけだと。
でも、徐々にその音は大きくなり、やがてかすかに音程が上下しはじめ……
いつのまにか、船員の誰もが不安に手を止めてあたりを伺っていた。

最初に「歌だ」と呟いたのは誰だっただろう。
言われてみれば確かに、不思議な旋律の上に物悲しい歌声が乗っているようにも聞こえて。


「全員、耳をふさいでーーーーっ!!」
ようやく叔父から聞いた伝承に思い至り、声を限りに叫ぶ。

けれど、遅すぎた指示に従えたのは、水夫達の一部だけだった。
両手で耳を塞いでいれば当然手は使えない。
正気を失った他の水夫を手を使わずに止めるなんて、できるわけもなくて。

"とりあえず真綿を耳に詰めるのさ"

叔父が冗談めかして語った対処法を思い出し、僕は船長室へと走った。
船長室のクッションをダガーで切り裂き、中の綿を丸めて耳に詰めると、確かに
歌はほとんど聞こえなくなった。
だけど、一息ついている暇はない。切り裂いたクッションをそのまま担いで
甲板へと駆け戻り、正気を保っている船員達にも耳に詰めるよう身振りで指示を出す。
そして手が自由になった彼らに錯乱した船員を取り押さえてもらい、その耳にも
強引に綿を詰めていく。

終始、風が変わらなかったのが救いだった。とても帆を扱っている余裕は無かったから、
ここで嵐でも来たら間違いなく僕達は沈没していただろう。


一夜明けて、パルマの港が肉眼で補足できる頃、ようやく歌は聞こえなくなった。
4名の船員が、姿を消していた。
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# by jurio_f | 2005-03-24 13:16 | 航海記(キャラ視点)